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1 2017年05月22日03時05分  投稿者:清末義和   投稿番号 422315_00
タイトル:少年の頃の思い出の地を歩く。JRウォーク大分
 今回のウォークは大分市の上野丘陵(うえのきゅうりょう)が含まれていた。同地区は大分駅の南方にあり実家があった地区である。ここで戦中・戦後の18年を過ごした。今は父母は死去、兄弟は地元を離れており無縁の地区となったが、少年時代の想い出深い地区なのでウォークに参加した。ウォークコースは大分駅→城址公園→遊歩公園→(上野丘陵地区へ入る)→若宮八幡宮→(実家跡地)→大臣塚→上原館→宝戒寺→大分市美術館→(上野丘陵地区を出る)→いこいの道広場→大分駅。ウォーク距離9km。城址公園、遊歩公園はスキップした。ウォークは午前9時に始まり午後2時に終わった。アルバムリンク先は「 https://goo.gl/photos/EYrnSofcMibaxQfL7  」 ご自分の責任で参照ください。
 
ウォークマップ
城址公園 google引用 大分城(府内城)の跡地である。戦中は大分県庁があったが、1945年7月米軍の空襲を受け壊滅的被害を受けた。炎が上がるのを上野丘陵の自宅近くから眺めた。
小学校通学路である。右の高架はJR久大線。左は若宮八幡宮。昭和18年、小学校2年のある朝の通学時、久留米行の列車が通り過ぎるのを見送る若い女性がいた。当時は高架ではなかった。その列車には女性の兄で小学校の若い先生が徴兵されて赴任先へ向かっていたのである。女性は涙ぐんでいた。その先生は生徒に人気のある先生だった。半年後先生は南方戦線で戦死した。戦後若宮八幡社の祭神輿を担いだことがあった。
旧国道10号線の坂道である。左側は県立芸術短大。戦中は大分高商その後大分経専、戦後は大分大経済学部。右側は旧実家のあった場所。終戦の日(昭和20年8月15日)小学4年であった。玉音放送を近所の人達と聞いた。翌日この国道を市内から荷物をリアカーや荷車に乗せて坂を登ってくる家族が続々と。話を聞くと「米軍が宮崎日南海岸へ上陸し北上してる。男は殺され女子供は拉致されるからあなた達も逃げなさい」と。これはデマだったのである。
百合若大臣塚 県立芸術文化短大に隣接している。左のおじさんは説明員である。百合若大臣は大分では広く伝わっている伝説である。愛と復讐の物語である。詳細はリンク先は「 http://www.city.oita.oita.jp/www/contents/1034731272112/ 」 ご自分の責任で参照ください。
金剛宝戒寺大日像 像の高さ3m。九州最大の仏像で国指定重要文化財になっている。年末大晦日の日に公開されるが、今回はウォーク特別公開であった。私は見るのが今回が初めてである。

コメント 投稿者 小山 榮  投稿日時 2017年05月26日 10時22分
前言を翻されたのは「健康年齢」を積み重ねられている証です。常々あやかりたいと願い近場の移動に車は使わないようにしています。私の生家は、50年前は集落全体で30軒に満たない農村地帯でしたが、最近では10倍以上300軒を超える住宅地に様変わりしています。それでも、小学校の低学年時に飛び越えにチャレンジした用水路にはきれいな水か流れ鮠が泳いでいます。回数は減りましたが故郷には足が向きます。
コメント 投稿者 清末義和  投稿日時 2017年05月24日 00時23分
一昨年の投稿「最後の高校クラス会」でもう大分へ来ることはないだろうと書きましたが、また来てしまいました。JR九州ウォークの上野丘陵地区を歩くとのパンフについ乗せられました。
コメント 投稿者 小山 榮  投稿日時 2017年05月23日 10時47分
清末さん たくさんの思い出話ありがとうございます。終戦時の苦難や戦中の辛い経験をいたるところで経験されていたことがよくわかります。私の場合は生まれた翌年が終戦でしたので終戦時の記憶は何もありませんが、戦後食糧や衣服などすべてが不自由だった記憶は鮮明です。茅ヶ崎(現在は平塚)在住のSさんが来倉された際、夕食を時々ご一緒しましたが、幼少時の思い出話を良くしました。場所は離れていても年代が近いと同じような経験をしていました。紹介していただいた千二百年前の「百合若大臣」の伝説を読みました。正義が勝つ話はすっきりします。大分は臼杵や国東の石仏や熊野磨崖仏、それに九重や耶馬渓などの自然と別府や湯布院などの温泉地とさらには伝説にも恵まれた素晴らしいところだと改めて思いました。また、よろしくお願いします。


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